8月13日
じーちゃんが亡くなった
急変だった
肺がんを発見して入院、少ししてようやく退院できたのに肺炎をこじらせて緊急入院
そのまま逝っちゃった
少し昔話をしようか
うちのじーちゃんは
ずっと苦労して生きてきた
ばーちゃんと結婚して
汚い小屋のような家で暮らしてた
仕事がうまくいかず
鶏やったり、豚やったり、全部失敗して
ようやく成功したのが
ブドウ園だった
それと畑をたくさん持ってたので
ネギ、キャベツ、白菜
農業でも成功した
その大成功は創価学会のおかげだと信じてしまったのも今じゃ笑い話だ
夕御飯の前のなんみょうほうれんげきょう
幼い僕はそのお祈りが楽しかった
普通の人が棒読みでなんみょうほうれんげきょう唱えてるのとは違うコブシと魂のこもったなんみょうほうれんげきょうは今も忘れないよ
今思えばなんで俺に唱えさせていたのかは聞かないことにしとく
そんなじーちゃんは酒とタバコが大好きだった
タバコの吸いすぎで肺がんになるくらいだ
夕食の前に必ずじーちゃんは酒を飲む
僕の席はいつもじーちゃんのとなり
酒を飲んだじーちゃんはオデコ真っ赤にして嬉しそうなんだよね
一緒に酒が飲めるようになった時が一番喜んでたな
よれよれのタンクトップにグレーのパジャマ
こよりで足をこちょこちょするしょーもないイタズラが大好きだったじーちゃん
親父が浮気していなくなったあと
俺と弟をばーちゃんと一緒にずっと心配してくれていた、うちのアパートの保証人も10年以上やってくれた、塾にもいかせてくれた、車の頭金も、いつも遊びにこいって連絡くれた
じーちゃんが入院してから
何回かお見舞いにいったんだけど
じーちゃんは直人達をすごく心配してたんだぞ!ってずっと言ってくれて、たまらず号泣しちゃったんだ
だって言われなくてもわかってたもん
感謝してたもん
でも本人の口から直接心配してたって言葉聞いたらやっぱり泣いちゃうんだよ人間だもの
あの時ありがとうって言えてほんとによかった
あの時ありがとう言えてなかったらほんとに後悔してた
だってじいちゃんが死んだとき俺は旅というなの観光に行ってたんだもん。
じいちゃんが退院したから大丈夫だと思って旅にでちゃった俺
なんだよお土産買ってきたのに死ぬなんて
帰ってきたらじいちゃんは布団の中で冷たい蝋人形みたいになってた
涙は出なかった、実感がわかなかった
それから通夜があって
最後だから一緒に寝なさいということで孫一同でじーちゃんと葬式場で一泊
はじめての宿泊が葬式場なんて笑えないよなじーちゃん、どっか連れてってあげたらよかったなー
なんて思いながら孫一同で泊まるなんて久しぶりすぎたのでテンションが上がる上がる
このじーちゃんとお泊まりは線香の火を途絶えさせないための泊まりなのだが、線香をつけ忘れて3時間くらい呑んだりしてるという鬼畜っぷりを発揮してしまい、グダグダ、テンションの上がった僕はひたすらじいちゃんに呼びかけるというプレイにはしりみんな爆笑、さすが吉橋家!なにが面白いかってうちの親父も一緒になって喜びまわってるアウト具合に爆笑。
見て!じーちゃんが動いてる!!って親父に見えないようにじーちゃんゆすってたらガチで信じてしまう大問題が発生、次の日、会う人、会う人にまぢな顔で動いたって言ってる姿見て申し訳なくなったのは今でも秘密
じーちゃんの作った家族はすごく明るい素晴らしい家族になったよ。
化粧されたじーちゃんが宝塚にでてきそうな顔すぎて葬式中笑いを堪えててごめん。
式も終わりじーちゃんが車に乗せられたとき号泣
あーもうさよならか。じーちゃんの思い出たくさんあるなー。もう20の俺に蚊についてアツく語ってきたじーちゃん、やっぱり孫はいつまでたっても孫なんだね。
火葬場について最後のさよなら
ありがとうって心の中で言った
骨になったじーちゃんは
耳だけしっかり残ってた
じーちゃんの耳は俺とそっくり
さようならじーちゃん
やっとばーちゃんのとこにいけたね
ひとつ願いが叶うならさ
また、テーブル囲って、じーちゃんのとなりで、ばーちゃんもいて、みんなで夕飯食べたいね
あの時間が一番忘れられない一番楽しい時間だったんだよ
じいちゃん最後の会話、、尿瓶のサイズってどうなんだよw
見守っててね。