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手書きには劣るけどね

そのままでいいんだよ

Dear...

人って不思議だよね






近所にコンビニができて
もうすぐ2週間。


最近感じるのは
夜、人が増えたってこと。



夜の独り歩きが
好きな雨乃にとって
夜に人が増えたことは
本当に困ります。


だって怖いじゃないですか、
夜歩いてて
知らない人とすれ違うの!

(だったら家で大人しくしてろ)



誰も居ない
夜の道を歩くのが好きなんです。


だからみんな
出てこないでください←





*******





以下、雨乃が講義中に
思ったこと。



ダラダラ長いだけで
中身がアレな感じなんで
バックすることを進めます。



が、それでも
見たい方はどーぞ。

(『答えてっ雨乃さん!』は
本日はお休みしまーす)


























この前の教職演習受ける前までは、『授業中、一般の保護者等にクラスに入ってもらって、授業補助をしてもらう』のは、ハッキリ言って授業の邪魔だと思ってました。学校教育に携わっていない人が入ったところで何も変わらないし、むしろ子どもが集中力が削られるだけだと思ってました。


でもよく考えてみたら、そうでもないんじゃない?


最近よく言われる『授業に集中できない子ども、全体としての授業のペースについていけない子ども』が増えてきてるのは、何で?


全員が全員そうじゃないにしても、ADやADHDの増加傾向や、少子化といった背景が絡んでるからだと私は思います。


ADやADHDについては、教育系に進もうとしてる方なら分かりますよね?脳の機能障害なんです。本人のやる気とかの問題ではなく。なので、そういう子どもに対してその子に合った支援をしようとするなら、やっぱり集団だけではなく、個別、または個別に近い対応が必要になってくると思います。


少子化が絡んでる、というのは、親1人あたりの子ども人数が減ってきてることで、親の思いが子ども集中しやすい、ということです。何が言いたいのかと言うと、例えば習い事。親の「私の子どもはこうあってほしい」という思いの強さ、それに加えて経験主義や学力主義の親が多くなってきてる今、子どもが子どもらしく過ごしているか、というと、疑問な面もある。逆に子どもの好きなことを全てやらせてあげる親、というケースも、結局は同じところに行き着くと思います。習い事ばかりで、この時期に経験するべき『子ども同士のかかわり』が希薄化し、コミュニケーション能力や、自己表現能力、また精神的な面での自己有用感の低下に繋がっているのだと思う。もちろん、全ての子どもがそうだとは思ってませんよ?ただ、昔に比べてこういう子どもが増えた、という意味です。


このようなケースの場合、子どもに必要になってくるのが『親の愛情』。「好きなことやらせて、お金かけてるんだからいいじゃない」と思うかもしれませんが、私が今ここで言いたいのは、そういう愛の形ではありません。私が言いたいのは、温もりのある情緒的なかかわりから生まれる『愛』、保育用語で言うなら『愛着(アタッチメント)』といったものです。

好きな習い事をやらせてもらったり、欲しいものを買ってもらったり、それはそれで子どもは嬉しいでしょう。でも、子どもが本当に求めてるものは親の愛情なのです。人は、人として生まれてきた以上、愛されることを望み、自分という存在を認められたいと願います。それは『マスローの欲求5段階説』でも、順序付けて説明されています。愛情が満たされていないと、そこから先のものはなかなか身に付きにくくなります。それは勉強だったり、対人関係だったり色々ですが、様々な部分に影響を及ぼすことは言うまでもありません。



長くなりましたが、つまり、このような子どもが増加してきている今だからこそ、授業補助(大人の目)が必要なのです。授業中、落ち着きがない子どもはどうして落ち着きがないのか、考えたことはありますか?「授業が分からないから」という理由だけでしょうか?そこには必ずしもそうとは限りませんが、「もっと自分だけを見てほしい」という子どもからのサインが含まれていると私は思います。先生が好きな子どもなら「もっと私を見て!」と思うのは多く見られるケースですが、みんながみんな授業中落ち着きがないわけではありませんよね?それはもうすでに、親との間にしっかりと愛着が形成されているからです。しかし、親との間で愛着がしっかりと形成されていないと、子どもは満たされていない感覚になり、それを他の大人に求めます。その対象となりやすいのが、教師なのです。なので、「あなただけを見ていると授業が進まないから」と子どもから目を離してしまうと、「この人も自分を受け入れてはくれない」と、大人に対して不信感を抱く子どもに育ってしまいます。



『教科教育』という観点だけで考えれば、それはできるだけ教員の方がいいでしょう。ですが、経費節減や多忙な教員が増えている中、全てを教員で回していくのは大変なことです。
それに、保護者や地域の方等に授業補助をしてもらうことによって、学校と保護者、学校と地域といった連携に繋がります。
学校に子どもが通っている以上、それを責任もって見るのは教師の義務だと思います。しかし、その一方で『学校に任せっきり』といったケースも増えてきてるのもまた事実です。
多様化した子どもや保護者の実態を考えると、授業内容や子どもの実態に合わせて、保護者や地域の方に授業補助をしてもらい、より多くの視点から子どもたちを育てていくのも必要なのではないかと、私は思います。
















論文ではありません。

論じてませんから。



文を作っただけ、

強いて言うなら『作文』?←







ただ思っただけですから
どーか深く気にせず。




何かありましたら
メールでも何でもどーぞー
(ありまくりだから)







おやすみなさい。



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your birthday

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